50年経っても変わらない価値が続く 「セキスイハイムM1」

1971年に販売開始した「セキスイハイムM1」は、当社の鉄骨ユニット住宅の第1号商品です。画期的なボックスラーメン構造と高品質、コストパフォーマンスの良さが高く評価され、工業化住宅として唯一「日本のモダニズム建築100選」に選ばれました。
さらに、国民生活や経済、社会、文化のあり方に顕著な影響を与えたとして、国立科学博物館の「未来技術遺産」にも登録されています。

日本の住宅シーンを変えた「セキスイハイムM1」の登場

1960年以降、戦後の経済成長に伴う急激な都市の発展と核家族化が進んだことにより、都市部の住宅需要が急増しました。国は、1966年に第一次住宅建設5カ年計画をスタート。「1世帯1住宅の実現」が目標に掲げられ、5年で670万戸の住宅を建設する計画を打ち出しました。その一方で、住宅需要が原因で資材や職人が不足したことによる住宅価格の高騰が社会問題となっていました。
こうした状況に対して、実用の目処がつき始めていた工業化技術を利用し、住宅の供給手段を革新することによって良質な住宅ストックをつくることを目的に開発されたのが「セキスイハイムM1」です。
1968年にプロジェクトチームが結成され、当時東京大学大学院の学生で、「部品化住宅論」を構想中だった大野勝彦氏が参加。居間、ダイニングキッチン、浴室、寝室など、それぞれの機能を持った部屋(ユニット)を工場で生産し、現場で組み立てるという現在のプロセスが固まっていきました。開発は急ピッチで進められ、1969年12月には早くも試作棟の設計と部材の調達先まで手配が完了していました。

徹底した合理性と先進的な設備を兼ね備えた「セキスイハイムM1」は、プレハブ他社よりも2〜3割安い坪価格で住宅業界に華々しく登場し、わずか4年で年間の販売棟数が5,000棟を超えました。
「M1」は日本の住宅シーンに新しい風をもたらしたと同時に、その後のセキスイハイムの礎を築くことになったのです。
そんなセキスイハイムの原点とも呼べる「M1」を50年前に建てて、現在も快適に住み続けていらっしゃるH様ご夫妻を訪ねました。

34歳のときに建てた「M1」営業担当は現会長の加藤正明

そんなセキスイハイムの伝説的な住宅「M1」が静岡県西部にも数棟現存しており、今回は浜北区のH様邸を訪ねました。凜としたその佇まいは、50年の長い時を経たとは信じ難いほどの美観を持っています。
ご主人は岡山県出身。高校卒業後、材木関係の会社に就職し、富山県、岐阜県、福井県などの工場を転々としていたそうです。東京本社にいた頃、静岡県か和歌山県に移住する選択を迫られ、台風の少ない静岡県浜松市を選ばれました。そのとき、ご主人は34歳。奥さまと10歳の長女がいたことから、浜松に拠点を構えようと土地を購入し、取引先の社長に当時「M1」を発売したばかりのセキスイハイムを紹介されたそうです。

50年前といえば、まだまだ木造住宅が主流だったはずですが、迷いや不安はなかったのでしょうか? 「実はその前から株をやっておりまして、積水化学工業さんのことはよく知っていたんです。これだけ業績のいい会社がつくる家なら大丈夫だろうという安心感がありましたね」とご主人。
セキスイハイムの事務所を訪ねると、その場に居合わせた現会長の加藤正明が営業担当に。「確かお昼どきにお邪魔して、加藤さんに牛丼をご馳走になったと記憶しています(笑)。その日のうちに契約しましたよ」。すぐ東京に戻らなくてはならなかったため、デザインや間取りをはじめ、すべて加藤にお任せいただいたそうです。

坪単価は木造よりも安い16万円!火鉢1つで1階が暖まった

施工中は一度も現場を見に来ることができなかったH様。浜松に引っ越してきて初めて「我が家」を見たご主人は、直方体の鉄骨ユニットがジョイントして1棟の住宅を成しているそのデザインに感動したそうです。「ご近所さんから、こんなに短期間でできる家に住んで大丈夫かい? とよく聞かれましたが、ユニット工法の家は知っていたので、全く心配していませんでした。事実、これまで何度も地震がありましたが、私も妻も揺れを感じたことはあまりありませんでしたよ」とご主人が話してくれました。
現在の性能と比較すれば、断熱や気密性能は劣るでしょうが、新築当時のH様邸は、火鉢一つで1階が暖まったそうです。「夏もそれほど暑くないし、不満を感じたことはありませんね」。
当時の住宅の一般的な坪単価は、木造住宅が17万円だったのに対して、鉄骨のH様邸は16万円でした。この価格は、①量産・量販できること②高品質・高性能であること③コストパフォーマンスの高い住宅をつくること、という「M1」の開発コンセプトに基づいて実現しました。

50年前に購入して正解でした。これからも住み続けます!

驚いたことに、H様邸は1階のクロスを張り替え、外壁塗装と屋根を後から追加しただけで、この50年間ほとんどリフォームをしていないそうです。階段を踏み込んでも全く問題ないし、ドアや襖の立て付けにも狂いがありません。
今までに建て替えようとか、大規模なリフォームをしようと考えられたことはないのでしょうか? 「一度もないことはありませんが、ハイムさんの担当の方が“MIは貴重だから、そのままにしといた方がいい。もったいないですよ”と言われました(笑)」とご主人。2人のお子さんもこの家で生まれ育ったので、愛着もひとしおに違いありません。新築から半世紀を経た今も、お子さん、お孫さんにとっては、この「セキスイハイムM1」がふるさと浜松の実家なのです。

セキスイハイムは、地球環境にやさしく、60年以上安心して快適に住み続けることのできる住まいをご提供しています。60年の長期サポートシステムもその一環ですが、「60年どころじゃないですよ。ハイムさんの家はきちんと手を加えて大事に住めば、100年以上は持ちます。私たちもまだまだ住み続けますよ」とご主人から嬉しいお言葉をいただきました。
セキスイハイムは、持続可能な価値ある家づくりを追求し、「建てるまで」はもちろん、「建てたあと」の住まいのあり方とも真摯に向き合っています。「セキスイハイムM1」というモデルは現在は販売していませんが、そのスピリッツは今もセキスイハイムの全商品にしっかりと受け継がれています。

浜松市浜北区/H様ご夫妻
セキスイハイムが創業した1971年に、「セキスイハイムMI」を新築。半世紀を経た今も大切に住み続けておられます。現在、ハイムのアパート経営もされていて、長いお付き合いをさせていただいております。

※入居年数は取材を行った2021年のものです。